凡学生・Maunogiの雑記

そのへんにいるような平凡文系学生の雑記

宇宙人が来たらどうする?

この手の話題になる度、「宇宙人が来ても、本質的には見知らぬ外国人が来たのと一緒なので、ジェスチャーなどの非言語的コミュニケーションから意思の疎通が図れるはずだ~」などという人がいますが、果たして本当にそうなのか、個人的にはその手法は同種である人類同士にのみ通用するものではないかと前々から考えていました。

 

そもそも一般的に宇宙人といわれて思い起こすのはいわゆるグレイのようなヒューマノイドですが、全く異なる環境で知性を獲得し、文明を築いた生物が地球人の思い浮かべるような人型になるのだろうか?と疑問に思います。

 

生物的な感覚器官が地球人のそれと全く異なる発達を遂げていたとしたら?

 

例えば人間は聴力と視力で主にコミュニケーションを図ります。聴力でのコミュニケーションの場合、声帯から発せられる振動のパターンによって人間は意思疎通を図りますが、まだ見ぬ宇宙人はモールス信号のように発光のパターンで日々の会話をしているかもしれませんし、さらには人間に感知できない音波などを用いている可能性すらあるのではないかと、ネガティブだかなんだかよくわからない妄想をしたりします。

 

皆さんも時にはこういった、SF映画には映えないような地球外生命体について考えてみると面白いかもしれません。

 

ではまた。

人の考え方はどのように形成されるのか?

世界には実に様々な人がいます。並の人間には為せないことを為す偉人、周囲から疎まれるような人、深夜に欲に打ち勝てずついつい間食する意思の弱い人(私)、そこでこの記事を読んでいるあなた(ありがとうございます)

 

当然のことながら、10人の人がそこにいれば、10通りの人格や思想が存在することになります。その人達はそれぞれ違う人生を歩んできたために、それぞれ異なる人格や思想を持つことになったと考えられます。

 

果たして、人生において人格や思想を形成する大きな要素とは何なのでしょうか?こういったことは個人的に寝る前の妄想や散歩中のお手軽思索で考えたりするのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 

やはり大きいと思われるのは「生まれ」でしょうか。その中でも特に、「家庭環境」は絶大な影響を与えるでしょう。両親の関心が理系に向かっていたとしたら…両親の関心が語学に向かっていたとしたら…例を挙げていけばキリがないですが、子どもにとって最も身近な存在は通常ならば家族であるはずです。そして人は大抵身近な存在というものに影響を受けます。

 

これは個人的な感想ですが、幼少期に図鑑や教育的な漫画などのコンテンツに触れているか否かでは、その後の成長において明らかな違いがあるのではないか…と思っています。

私の例ですが、両親から貰って読んだ科学図鑑と、学校の図書室で読んだ歴史漫画は、今の自分が雑学好きになった要因であったと考えています。

極端な話、私がこうしてインターネットの海にプカプカと漂うオタク気質の人間となった理由は、その幼少期にあったのかもしれません。(無論、インターネットとの出会い方にも左右されるでしょうが…)

 

「家庭環境」にはある程度、両親の「子どもにはこうあってほしい」といったような意思が介在しています。しかし「友人関係」はどうでしょうか?

どの様な友人を持つか、そしてその友人から如何なる影響を受けるかはそのほとんどが偶然によるものではないかと考えられます。やはり大きいのは学校のクラス分けでしょう。実に馬の合う二人がいたとしても、出会うことがなければただの他人です。仮にその二人が協力して世界を変えるような事業を始めることができたとしてもです…

 

さて、この話はキリがありませんのでこの辺でやめておきましょう。私はいったい何者なのか、その私はどのようにして形成されていったのか…この話題はしばらく引きずることになるかもしれません。

 

ではまた。

このブログは一体何なの?

結論から申し上げましょう。

 

このブログは(ネット上に)どこにでもいるような、特にこれといって特徴のない男が日々思うことを雑に書いていく

…というものになる予定です。

 

ちなみに筆者はそこらにいるような平凡な文系大学生です。(2021年1月現在)

 

言ってしまえばこのブログ、インターネットの僻地も僻地、ド僻地といったところでしょうか…

 

のっけからなんとなーく自虐的ではありますが、一応徒然なるままに書き連ねていこうと思ってはいます。何の因果かここにたどり着いてしまったそこの方、せっかくなのでどうぞよろしくお願いします。